発達障害者はなぜ生まれるのでしょうか?
正直に言うと当事者である私も完全に分かっているわけではありませんし、なんで生まれたんだろうと落ち込む事もあります。
確かに発達障害は人生を辛くするかもしれませんが、私は健常者と比較して辛いというのは無意味な考え方だと思います。
世の中には様々な人が居て、しようと思えば様々な尺度で比較できますが、劣っている所もあれば優っている所もあります。
そんなに様々な価値観があるのに比べても無意味ですよね。
ですから、今回は発達障害者が健常者と比較して、(そんな事実ないのだから当たり前ですが)劣っているのはなぜかとか不幸なのはなぜかという考え方はしません。
そのような考え方ではなく、発達障害者の持つ特性を通して発達障害者がなぜ生まれるのかについて考えて行きたいと思います。
まとめると?
- 発達障害者がなぜ生まれるのかを考えよう!
- そもそも誰かと比較して劣っているとか優っているは意味が無い!
- そんな意味のない考え方は捨てて特性に合わせたなぜ生まれるのかを考えよう
発達障害者はなぜ生まれる?解決の為に
発達障害の私はなぜ生まれたかを考える事がありますが、この答えの出ない疑問を解決するにはどうすればよいのでしょうか?
まずは発達障害という事を置いておいて一般的な生まれて来た理由を考えます。
これを知ってもすぐに実行できるわけではありませんが、私はなぜ生まれた?と思わなくなるには自分を認められるようになることが必要だと思います。
人によって違いますが、例えば仕事を頑張って昇進した時に、「自分は価値のある自分だ」とか「これだけ頑張れるなんて自分はすごい」等自分の存在を否定する気がなくなれば、きっと生まれてきて意味があったと思えるはずです。
なぜ生まれたか分かる日は来るの?
では自分を認めるという事は、全員がいずれできる事なのでしょうか?
私は自分を認められず、つまり自分の生まれた理由が分からずに死ぬ人もいると思います。
そう考えると怖いですが、その可能性が有るから、なんだよ!と私は思います。
生まれた理由も分からないまま死ぬかもしれなくても、今をできるだけ努力して、這いつくばってでも生きるしかないです。
だってそうじゃないですか?今生まれた理由なんて一生わからないと決めつけて、人生を無駄にするより、希望を捨てずに前に進み続けた人生の方が絶対良い人生だと私は思います。
それがたとえ最後まで生まれた意味が分からない人生でもです。
発達障害に生まれて良かった?
その生まれた意味を探す人生は、長いトンネルの先の光を目指すのと同じです。
発達障害だとその長いトンネルはさらに長いかもしれましれませんが、長いトンネルの先の光はきっと普通より輝いています。
そして光を目指す人生は、ゴールの光に負けない、輝いた人生だと私は思うのです。
自分が目指すゴールに向かって、歩くことは素晴らしい事だから当たり前ですよね。
人より輝くゴールを目指して歩く発達障害者の人生はゴール前から、人より輝いています。
そう思って、辛い人生を乗り切る楽しみこそが発達障害者がなぜ生まれたかの理由の一つです。
もう一つの発達障害に生まれた理由
そうは言っても長いトンネルを歩いていると嫌になる時もあります。
そんな時私が思うのは、発達障害者の人生って金曜日みたいだなという事です。
発達障害者はなぜうまれる?
私は金曜日が好きです。
明日から、今日よりも楽しい日(土日)が待っていると思うとワクワクするのです。
私は発達障害者に生まれてきて、毎日金曜日の様な気分なのです。
今は辛いけど、これから先良い事が待っている今日より楽しい明日があって、さらに楽しいそのまた明日が待っています。
私はその今からどんどん良い未来が待っていると思える事が、なぜ生まれるかの答えだと思います。
発達障害で辛くて、どん底でも、この先は良くなる一方なはずです。
だって今どん底なんですよ?そこより下は無いのでもう上がるだけです。
発達障害者は、どんどん発達していける余地を持つ障害です。
発達障害に生まれるという事は、今より良い未来に行けるチケットを持って生まれるという事だと私は思うのです。
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最後に
発達障害は発達する余地のある障害だと私は思います。
もしその発達した結果が健常者の持つ能力と同じだったとしても、発達の過程を楽しんで、発達する経験を、価値のあるものと思えばいいと私は思います。
別に他人と比較する必要はありません。
前に進み続けられる事こそ、発達障害者の生まれた意味ではないでしょうか?
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